2月度ランチ献立表のご案内

2月のテーマ「鬼はー内…の深い意味の一考察」
※今月も長い文章となりましたので、お時間のある方はお付き合いください。

2月になるとすぐに節分ですね。節分と言うと、私たちのほとんどはまっさきに『鬼はー外、福はー内』の豆まき、そして自分の年の数だけ豆を食べる、と言った古きなつかしき風習をイメージすると思います。しかしながら、節分と言うものを真面目に考えてみると、本来節分とは、季節と季節の節目、あらたな季節の始まる日、つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを言い、当然ながら年に4回あります。一説によると、やはり厳しく寒い冬を乗り越え、ようやく心待ちにしていた春を迎える意味では、この立春を迎えるにあたる節目は、一年の中でもまさに大きな節目として、節分の代表格と言えるのかもしれません。ちなみに、なぜこの節分に「豆まき」するようになったのかというと、この節分は邪気が入り込みやすい時期らしく、その邪気を払いのけるために、実は昔から「邪気を払う霊力」があるとされていた穀物や果実の中から、その代表格としていつしか豆を撒くのが習慣になったそうです。
ところで、この豆まきするときの掛け声…「鬼は外、福は内」は一般的に広く用いられているところですが、地域・神社・家庭によっては、「鬼は内、福は外」なる掛け声をしているところも数多くあるそうです。事実ある地域・神社・寺社では、「鬼」を「鬼神」「神様の使い」として崇め祀るなど、ある意味厳粛、神聖なる存在と捉えているところから由来しているとの一説もあります。実際に、鬼がつく姓の家庭や、鬼を祭っている神社、地名に鬼がつく地域の中には、「鬼は内…」とするのが一般的との話も聞きます。これらの方々からする、世間で言っている「鬼は外…」の方が、案外普通でないとの感覚あってもおかしくない気がします。いずれにしても「鬼は内…」となると、その当然のなりゆきとして「福は外」となりますが、福を外に逃がしてしまっていいの?と皆様方の多くは当然お考えになりますよね。これについては諸説あるようですが、「情けは人の為ならず」のごとく、福を自分たちだけの為にため込まずに、率先して人のために福を差し上げることで、めぐりめぐって自分自身に福がかえってくるとの広く深い心に基づいているようです。
さて、ここからは私見ですが、そもそも鬼とは、いうなれば人間たちが心の中で作り上げてきたものだとも言えます。一見したところ、怒り・悪・邪気・災・不幸など、私たち人間にとっての日常生活の中で、一番好ましくない、被りたくないものの存在が象徴化されたもの、投影されたものと言ったところでしょうか?もちろん人間側の真面目・誠実に生きている多くの人々の生活の中にも、時に見境なく襲ってくる天変地異や災厄には、その理不尽さと不公平さに、誰しも納得いかないと思います。とりわけ自然の猛威には、現代の私たちですら、それなりの減災・防災はできたとしても、根本的・根源的な根絶は不可能です。また、森羅万象、宇宙・地球・大自然の営みを通じ、私たちは目に見えるレベル見えないレベルで、様々な恩恵・恵みを受け育まれてこの世を生きています。そう考えると、例えば私たちが暮らす、いとおしいほどに大切で愛着あるこの地球・大自然の中には、私たちの立場や考え方次第で、善にも悪にもなる、幸にも災いにもなる、崇高かつ厳粛なる強大なパワー・エネルギーが厳然としてある事実に向き合うことになります。このように、この世界には、私たち人間を含め森羅万象すべてを動かしている見えざる力・生命力が厳然とある訳で、人によってはそれを見えざる偉大な力、サムシンググレートなどと読んだりもしています。さて、前置きが長くなりましたが、当然ながら大自然の一員である私たち一人一人にも、見えざるパワー・生命力が授けられているはずです。そして、その力は本来、善悪を超えた純粋なエネルギーであり、それが善となるか悪となるかは、その力を使う一人一人の手、意思にゆだねられていると考えることができます。当然、聖人君子や天使ではない、生身の人間である私たち誰しもの心の中には、人を思いやる気持ち、助けたい、支えたい、愛したい(自己愛でなく純粋な他者愛として)と言った尊く美しい気持ちもがある一方、自分でも目をそむけたくなるような、妬み・嫉み・憎しみ・怒りなど、ドロドロとした黒い感情のごとき気持ちも、持ち合わせています。もちろん、これらのいわば「悪・黒」と言った感情を、そもそも心に疼き湧きあがる初期段階から、発生しないようにする人格レベルまでに私たちが到達できれば最も理想的かもしれません。しかし、世界広し言えど、ほんとうにその聖人君子的なレベルに到達している方々は、おそらく限られたほんとうに少数派か、ほとんどいないのではないしょうか?ただし、私たちには、最後に残された大きな切り札があります。それは意思の力です。人間はたとえどんな状況にあろうと、その時に自分がどのような心のありようであるかを、最終的に決める権利・イニシアティブ・行動も、その人の心にしっかりゆだねられています。つまり心の中で黒い感情がにじみ出てきたとしても、それをしっかりと受け止め、毅然とした態度で自分の意思を行使できればよいのです。ここで、この気持ちをしっかりと受け止めるためには、相応の気概、心の土壌が整備されていなくてはいけません。そのためには、自分の中にもしっかりと存在する、ほかならぬ自分自身の感情の一部である、妬み・嫉み・憎しみ・怒りと言った黒い感情を、毛嫌いしたり、見て見ぬふりをせずに、まぎれもなく自分自身の中にある素直な感情として、しっかり受容してゆく、そしてそれを寛大なる心で受け入れて行くことが、大前提作業として大切だと思うのです。「鬼」に象徴されたこのような黒く不快な感情も、まずは真正面から丸ごと受け入れる、いうなればその不快な感情も大切に扱い消化してゆくプロセスを重視する意味では、「鬼は内、福は外」の掛け声は、とても深いものだなあと、あらためて感じ入った次第です。

さてさて、今月のカフェリベルタは、なにもかもすべてを丸ごと包み込むハッピーシャワー充満をイメージして、皆様方をおもてなししたいと考えております。寒さもっとも厳しい時期ですが、是非ともカフェリベルタにお越しくださいませ。

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