4月度ランチ献立表のご案内

4月のテーマ「エイプリルフールに思う言葉使いの大切さについて」

いよいよ4月、記念すべき最初の4月1日は、皆さんご存じの「エイプリルフール」です。気がつけば、このエイプリルフール…以前と比べると世の中全体のムードとして、あまり大きく取り上げなくなってきたような気がしませんか?考えてみれば、誰しも小さな頃から親・教師等人生の先輩方から、「嘘はついてはいけません」とさんざん厳しく教えられたはずです。しかし、子供から大人まで「嘘を全くつかいない」人は当たり前にこの世にはほぼいないはずです。嘘をつかれる側としては、誰しも嫌がる嘘なれど、自分が嘘をつく立場となると、種々雑多、実に様々なグラデーションの嘘を、意識・無意識に量産しているはずです。事実私たちが住むこの世界には、絶対ついてほしくないもの、ついてもらっては困るもの、他者に大変な迷惑をもたらす許されない悪質な嘘もあれば、逆に、場を盛り上げたり、人の気持ちをなごませたりするような上手な嘘、優しい嘘、機知にとんだ素敵な嘘まで、実に幅広く多種多彩な嘘が存在します。よくよく考えれば、私が子供の頃の昭和40年代は、今と比べれば格段に情報量少なく、今ほど娯楽的な遊びもなく平凡な毎日だったせいもあり、とかくエイプリルフールのようなビックイベント?が近づいてくると、なんとか人を「やられたー」と言わしめるようなディープインパクトな嘘を、必死に考えていたことを思い出しました。一方、考えてみれば、最近は眼をそむけたくなるような悲しい事件や出来事があまりにも多すぎて、意図的に嘘を案出・披露することに、どこか引け目を感じてしまうのは私だけではないと思います。私の場合、仕方がないので職場で程よく害のない親父ギャグをほざいてしのいでいる次第です。そう言えば、二人組の音楽ユニット「キマグレン」の歌う「LIFE」の中にも、『僕らの住む世界は嘘だらけ…』なんて歌詞がありましたね。
考えてみれば、嘘はつく側としても、つかれる側としても、その必要性ともたらす効果を十分に検討した上での、絶妙な使い分けと判別力が求められると思われます。そしてもし、決定的に許されない嘘、とそれと同等な態度・言動が浴びせられたなら、その時は正々堂々と異議を唱える、声をあげることも大切だと思っています。
ここでちょっと脱線しますが、皆さんこの詞を来たこと、読んだことありませんか?

神よ、
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについて
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして変えることのできものと、変えることのできないものとを
識別する知恵を与えたまえ。

これは、知る人ぞ知るアメリカの神学者、倫理学者ラインホールド・ニーバーがマサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で1943年の夏に説教したときの祈り…いわゆる有名な「ニーバーの祈り」の一説です。この識別する知恵は、個々人が人生経験を積み重ねながら洗練させていくものだと思いますが、私個人として識別した結果、最近の社会を揺るがす出来事の中で、私としては受け入れがたい、見過ごせない「嘘」あるいはそれと同等な態度・言動が見受けられたので、この場を借りて以下モノ申したいと思います。

まずは一つ目の最も許しがたい嘘は、政党や政治家が常に選挙前に強気で明言している「マニュフェスト」「選挙公約」の数々が、当選後、あるいは任期終了や国会解散による再選挙時点で、全くと言っていいほど話題に触れられず、総括されずにうやむやなままに、しかも何事もなかったことのようになっている実情についてです。まず言っておきますが、人間である以上、正確に完璧に正しく実現することなどできるはずはありません。とりわけ政治に関して言えば、一生懸命努力してもなかなか思うようにいかないことの方が多いはずです。ただし大事なことは、自身の戦略・行動を今一度振り返り、検証・分析し、学びや糧として次につなげる努力があるかどうかです。自分を民意として選んでくれた国民に対して、自らの胸に手を当てて真摯に自分を見つめなおし、この姿勢や行動を起こし、その結果を包み隠さず国民に伝える作業をしている政治家の方がいかに少ないかは、残念である前に、悲しく感じてしまいます。一方、政治領域以外の多様な領域での素晴らしい業績や活動を展開している民間企業のトップや専門家の多くは、当然ながら綿密な経営計画・戦略を立て、それらがうまくいかなければ悪戦苦闘しての検討・修正を重ね、実現に向けて粘り強く実践してゆきます。そして、それでも結果的にうまくいかなった場合、反省・検証はもとより、逃げずにしっかりと向き合い場合によっては責任をとりますし、それが結果的には、減給・降格・左遷・退職になることも大いにありえます。しかし、以上でも以下でもなくこれが現実のプロのお仕事と言うものです。よって、少なくともマニュフェストや選挙公約に後ろめたさ、その心あたりのある議員さんは、このくらいのリスクと隣合わせのぎりぎりの世界で頑張っている、彼ら彼女らの持つ危機感と本気度を、是非とも見習ってほしいです。そして、今後は自らの語る、発する言葉に重みと責任感を持って、有権者へのしかるべきフィードバックを習慣づけてほしいものです。

二つ目は、本当は枚挙にいとまがないほどたくさんあるのですが、この中でも象徴的な見過ごせない「嘘」、暴言ともとれるあの発言を挙げたいと思います。それは、昨年夏、東京オリンピック誘致活動にあたっての東京電力福島第一原発での港湾内汚染水をめぐる懸念に対し、ある政治家がオフィシャルな場ではっきりと明言した「アンダーコントロール」発言です。実際には英語でのコメントでしたが、文脈からすれば「状況はコントロールされている」と和訳されます。この時、「汚染水の影響は福島第一原発の港湾内0.3平方キロメートの範囲内で完全にブロックされている」とも発言していますが、この後汚染水をめぐる様々な問題や不適切な対応実態が次々と明らかになり、事実とはあまりにもかけはなれた不適切発言=明らかな嘘と思われても仕方がないことが露見しています。事実、地元福島で直接・間接大変な被害と痛みを被った住民の方方、漁業関係者はもとより、実際に気が遠くなるような原発廃炉作業に向けて多大な被ばくリスクを抱えながら、日々現場で命がけで働いてくれている東京電力の作業員の方方に対しても、ストレートに失礼この上ない暴言だと感じました。おそらく上述の関係者の方々も有識者も、この発言を聞いて、不愉快を通り越して、「あきれた」「がっかり」をお感じになっている方がたくさんいらっしゃると思います。人として、人の命や生活の大事な部分に直結する内容に関しては、真摯に誠実に事実を明らかにし、それにきちんと向き合って対応してほしいとつくづく思いました。ちなみにあえて付け加えさせていただきますが、この汚染水処理に関しては、決して東京電力の職員や作業員の皆様方がどうのこの問題でなく、むしろこの現場の皆様方は、正解や正攻法の見つからないこの難題に対し、命がけで挑んでくれています。自らの身の安全が保証された立場の政治家が、しかも庶民を見下したような上から目線で、表面的な字面や軽いフレーズの乗りのような感覚で、その場を切り抜けようとする軽率な発言は是非ともやめてほしいものです。重ねますが当事者の立場に立てば、どんなにか心を深く傷つけているかを徹底的に想像し、今後は肝に銘じて、国民に対して心のこもった、感情を乗せた丁寧な言葉使いを心掛けてほしいものです。日本の行く末を思い憂う気持ちはきっと同じだと思い、あえて言わせていただきました。

さて、私どものカフェリベルタは、この春より通りに面し大きな看板を掲げさせていただきました。この中でご紹介させていただいた通り、私どもの施設は、地域の中で障害や悩みを抱える方を、パン・カフェレストランをはじめとする様々な福祉的就労体験を通じながら、ご本人様の回復と自己実現を支援させていただく仕事をしております。このように対人支援を生業とする私たちにとって、丁寧な言葉使いは、利用者さんと接するときの心のありようとともに、最も気をつけなければならないものです。上述の先生方を反面教師として、私たちも日頃より不適切な発言・言動をしていないかを、常に自問自答してゆきたいと思います。

新年度4月からのカフェリベルタも、お越しになった皆様が少しでも心地よくお過ごしいただけるよう、気持ち新たに誠心誠意努力してゆきたいと思います。

ランチ献立表最新版ダウンロード(PDFファイル)

PDFファイルをご覧いただくにはアクロバットリーダーが必要です。お手持ちのパソコンにインストールしてない場合は、以下のアイコンから最新版がダウンロードできます。
get_adobe_reader