戦後71年目の終戦の日を迎えるにあたり、先の戦争により犠牲になられた国内外全ての方々に深い哀悼の誠を捧げます。
2016年8月15日終戦の日を、日本そして私たち日本人はこれまでになく「日本の平和への在り方」が大きく問われる中で迎えることとなりました。つきましてはここに、先の「安全保障関連法制」施行に至る流れの実相を紐解き、そこに潜むリスクや課題を検証しつつ、今後の「日本と世界の恒久平和」「戦争と核兵器のない世界」の実現に向けた提言をさせていただきたいと思います。
長文になりますが、少しでも興味・関心ございましたら、しばらくの間お付き合いいただきたく存じます。
●世界に広がりつつある日本への不信感
戦後71年もの間、戦争の放棄を定めた憲法9条のもと、非戦を貫き平和を守り続けてきた日本。しかし最近、海外で日本の評判がしだいに悪くなってきているという話をあちこちで耳にします。その理由の一つが、日本がこれまでは平和憲法に基づく平和主義を一貫して固く貫いてきたことで得られた「信頼できる国、尊敬すべき国」との諸外国からの評価、イメージが、近頃大きく揺らぎ始めていることにあると考えます。一方、このように海外から日本不信の声がしだいに大きくなる以前から、国内においても「今の日本はしだいに危うい方向に舵取りをはじめたのでは?」との印象、見解を示す有識者、国民の声が確実に広がりをみせていると思われます。しかも、「今の日本に感じられる風潮、雰囲気が太平洋戦争の突入当時のあのきな臭ささにどこか似てきている」との強い懸念や危機感を持つ、戦争経験者の声も聞かれるようになってきています。まずはその大きなきっかけ、要因となったと思われる、先の「安全保障関連法制」成立に至る経過から振り返ってみたいと思います。
●「安全保障関連法制」成立にいたる経過と裏事情
安全保障関連法制が閣議決定された昨年9月より、さらに遡ること5か月前の2015年4月。日米両政府は「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を18年ぶりに大きく見直しあらためて取り交わしました。注目すべきはこのガイドラインの中に、安保法の成立があってこそはじめて可能となる集団的自衛権の行使を必要とする内容が、すでにしっかりと盛り込まれていた点です。もともと日米の間でガイドラインの見直しがはじまったのは2013年でした。そもそも中国による東シナ海への脅威がます中、危機感を持った日本側が自国のみでの対応に心もとなさを感じ、有事の際の米国の尖閣諸島への関与を強く望んだことからの日本の呼びかけによるものだったとされています。しかしながら、有事の際、日本を守るために米国が尖閣諸島に関与するだけでは、米国はその大きなリスクを背負うのみのデメリットだけでたいしてメリットがありません。そこで見直し協議の過程で米国は、尖閣関与の見返りとして、逆に「米国が他国から攻撃を受けた場合、米国が要請すれば日本の自衛隊が米軍を守ること」を日本に繰り返しせまったそうです。こうなれば、これまで世界のあちこちで世界の警察官として様々な活動をしてきた米軍の軍事負担やそのリスクも確実に減らすことができます。また、これまで米国を主軸に世界各地で展開しなければならなかった軍事活動を、今後は日本が様々な形でサポートしてくれる可能性が大幅に高まる訳ですから、米国はもろ手をあげての大歓迎と思います。ただし、ここで私たち国民が今一度しっかりと押さえておかなければならないことがあります。それは、集団的自衛権行使を可能とする事前約束が、安全保障関連法制が閣議決定されるより数カ月も前にすでに米国との間で秘密裏にとり交わされてしまっていたこと、しかも政府はこの事実経過を日本国民にきちんと知らせることなく粛々とことを進め、後日出来レースのごとく国会では数の力で強引に可決させていた、と言ういわば国民軽視、国民無視ともいえる信じがたい事実があったことです。
●安全保障関連法制により懸念される戦争リスクのさらなる拡大化
国民の中には「中国がある日突然、尖閣諸島に攻め込んできたら、日本はいったいどうなるんだ~」と不安を示す方々が多数いらっしゃると思います。わが国の平和と安全を真剣に心配すればこそ、そんな不安な気持ちを抱いてしまうのもわからなくはありません。確かに万に一つ、その可能性が絶対的に100%起こらないとは誰にも断言できません。しかし、万一そのようなことがあれば、尖閣は日本の領土なのですから、当たり前に自分の国を守る権利、つまり個別的自衛権をしっかりと行使し守りぬくことが可能です。また、仮に援護してくれている米軍が攻撃を受けたとしても、日本の領海内なのですから日本に対する攻撃とみなし、わざわざ集団的自衛権行使の是非を持ちださずとも、個別的自衛権の範囲内で堂々と米軍の援護のための反撃も可能なはずです。米軍への武器弾薬補給や燃料補給に関しても同じく、日本領海内であれば個別的自衛権行使として可能でしょうし、さらには周辺事態法でも対応できるはずです。にもかかわらず、わが国が米国に尖閣関与を強く要望しなければならなかった本当の理由は何だったのでしょうか。自国だけの防衛態勢では心もとなく不十分と考える日本としては、米軍が関与してくれた方が万全を期すことができ、より安心と言ったところなのでしょうか。あるいは、このような形で米国に媚を売り同時に大きな貸しを作ることで、今後より米国の核兵器を含めた強大な軍事力の傘のもと、世界の富や資源の多くを安定的に享受し、日本の経済的繁栄をより磐石なものにしたい等の目論見があってのことでしょうか。仮にその程度の目先重視の考えで、今回の安全保障関連法制を強引に施行させたとするならば、現実的にはこのメリットをはるかに大きく上回るリスクや代償が潜んでいることを、政府は大変あまく見積もっていると思います。例えば今後「米国からの強い武力救援要請」⇒「米国との関係性から断り切れず恣意的に集団的自衛権行使を決定」⇒「偶発的な軍事衝突をきっかけに想定外の戦争へ突入」と言った展開可能性が現実的に大変高まることとなったと思われます。このように、わが国の平和、ひいては世界の平和と安定を、多分に脅かす方向へ導いてしまうリスクを抱える安全保障関連法制には、以下二つの理由より断固反対します。
★反対理由1
今後米国から武力援護要請があった場合、これまでのように憲法9条を理由に断ることができなくなります。また上述したように先の米国とのガイドライン見直し時に、米国の要望を色濃く反映させた形での「安全保障関連法制」を成立・施行させた経緯を踏まえると、集団的自衛権行使の可否を決定する際の最後の歯止めとなる「新3要件」も、おそらくは慎重・丁寧さに欠き、米国の意向を優先した形で恣意的に行われる可能性が懸念されます。このように有事の際、わが国が当初期待していた「周辺事態での自国防衛態勢の強化」レベルでことはおさまらず、今後は不本意ながらも米国とともに世界各地の戦争・紛争への武力介入に踏み込まざる得ない事態が大いに予想されます。当然そうなれば実際に「戦闘」が行われ、人間同士が互いを殺傷し破壊し合うことになります。偶発的な「武力衝突」をきっかけに本格的な戦争へ拡大する可能性も飛躍的に高まります。このように安全保障関連法制によって、今後わが国は想定外に世界の戦争や紛争に巻き込まれたり、侵略を受けたりする危険性を、逆に格段に高めてしまうことになると考えます。
★反対理由2
これまで平和主義を掲げ相応の長い時間をかけ、確実に積み上げてきた我が国の海外からの厚い信頼、評価、尊敬、ブランドを大いに失墜させることにつながると考えます。事実、わが国は、名目上は積極的平和主義を掲げながらその実、今後は米国と連携し世界の隅々までも出向いての武力行使が可能になるに加え、そもそも「破壊・殺傷」道具である武器やその技術の輸出についても、国民への説明なく近年「原則輸出可能」へと大転換してしまいました。よってわが国は「声高に世界に対し積極的平和主義を謳いながら、その実、米国ともども武力行使を肯定し、武器さえも売りさばく平和主義者の名をかたる偽善者」ぶりの正体が、世界から徐々に見抜かれはじめていると推察します。ついてはこのままだと残念ながら、今後わが国は米国同等、もしくは米国以上にテロ等の積極的な標的となりうる可能性が大きく高まることが懸念されます。
さて、ここまでは最悪の事態の可能性もまじえ、危機的な話を中心に進めてきました。しかし、大事なのはこれからであり未来です。今ならまだわが国は踏み誤ろうとしている道を引き返し、より良き正しき方向へ歩みなおすことが可能なはずです。そのためには、私たちはまずは平和憲法の原点に今一度立ち返り、私たち日本人だからこそ、そして私たち日本人にしかできない役割に目覚め、それをしっかりと実践いていくことが肝要と思います。
●平和と非戦の国日本が果たすべき「戦争と核兵器のない世界」の実現に向けた提言
わが国は日本国憲法に反し、むしろ世界の恒久平和さえ脅かしかねない安全保障関連法制を即刻廃止し、あらためて世界平和の規範たる日本国憲法の恒久平和の理念に根差した、唯一の戦争被爆国である日本にしかできない、日本だからこそ為すべき「戦争と核兵器のない世界」の実現に向けた役割に徹してほしいと切に願います。具体的には以下三つの役割を期待します。
Ⅰ.「憲法9条の理念のもと、日本が世界に誇るべき平和主義を今一度全世界に向け高らかに宣言し、世界の戦争や紛争の解決、和平、調停、和解、のための主体的な役割を積極的に果たしていくこと」
Ⅱ.「世界で唯一、核兵器による原爆被爆国ならばこその強い覚悟と使命感のもと、地球上の核兵器の完全廃絶を実現させるべく強力なリーダーシップを発揮し、世界に名だたる平和と非戦の国としての名誉ある地位とブランドを確立すること」
Ⅲ.「紛争や戦争の背景要因とされる、差別、偏見、貧困、格差解消等に向けた”知識” “知見””技術” “しくみ””ノウハウ”等を国内はもとより世界に発信し、その確実な普及・啓蒙・改善・開発・拡大化を図っていくこと」
〈Ⅰについての補足解説〉
わが国は今一度世界恒久平和の実現に向け「平和と非戦を重んじ絶対に戦争をしない国」そして「世界でもっとも信頼できる平和国家」に原点回帰し、それを世界に向け堂々と高らかに宣言することが肝要と思います。その上で、まずは戦後これまでわが国が世界各国で展開してきたODAとの合わせ技で、世界の戦争・紛争地域での生活に困窮する方々に対する人道的、財的、物的、ノウハウ的支援をより積極的に展開していくべきと考えます。また、戦争・紛争を専門的に調停し和平に導く役割も、平和と非戦の国日本だからこそできる役割と思います。これらの専門的な知識・ノウハウ・しくみ等の研究開発と、これらを実践する人材の教育や育成にも力を注ぎつつ、現紛争地域の戦争や内戦を実際に終わらせるための様々な有効施策を、国際社会の協力と賛同を得ながら着実に実施していって欲しいと思います。ただし、ここで忘れてはならないことが、単なるうわべや形式的な支援にならないこと、つまり同じ人として血が通い心のこもった支援、顔の見える支援をしてゆくことにあると考えます。このことは、現在まさに諸外国より、単にお金だけしか出さず不十分と受け止められている日本側の本腰を入れずの難民受け入れ問題にも共通する課題と考えます。一方、日本こそが率先して、国際的な対立、摩擦、分裂を防ぎ協調・協力路線へと導く仲介者、調停者の役割に徹するべきと考えます。例えば今シリア内戦の解決が遅れていることの障害の一つでもあると考えられる、現在のアメリカとロシアの対立を和解、調和、協力へと導く役割こそ、我が国こそが今後世界の中で率先垂範して行うべき役割と思います。このように国連全体が同じベクトルで一致協力し、本来の世界規模での平和・安定路線へ総合力を発揮できるように取りまとめ調整をするなど、真の積極的平和活動へのリーダーシップを発揮していくことこそ、今後日本ならばこそ期待される役割と考えます。
〈Ⅱについての補足解説〉
現在世界全体が保有する核兵器数は約1万5千発。これらすべてが実際に使われたら、人類はおろか地球上すべての生命が一瞬にして完全に死滅することでしょう。近年、核兵器の非人道性の認識の広がりとともに非核保有国の間では「核兵器の使用や保有を即時違法化する禁止条約」を急速に支持する動きが拡大しています。オバマ政権は核実験を禁止する国連安保理決議案の採択を検討しています。さらに、核軍拡を招くとされる新型巡航ミサイルなどの核兵器近代化計画の見直しや、敵の核攻撃がない限り先に核攻撃をしない「核先制不使用」宣言を打ち出す可能性も取りざたされています。しかし、わが国は唯一の戦争被爆国でありながら「核兵器の脅威に対しては、核抑止力が不可欠」とし、米国が提供する「核の傘」への依存を強めているのが現状です。事実、その姿勢が如実に表れているのが、核兵器禁止条約を念頭に議論を続ける国連核軍縮作業部会(スイス・ジュネーブ)での日本の対応です。国連加盟国の3分2以上の139カ国が前向きな姿勢を示している核兵器禁止条約について、日本は公然と不賛同の立場をとり続けています。米国を含む核保有国は核兵器禁止条約について絶対反対の立場をとり、一方大多数が賛成の立場をとる非核保有国との溝と対立は平行線のままです。
このように我が国は、現在核兵器の廃絶や世界の恒久平和を対外的には声高に訴えているものの、その実やっていることは既存核兵器保有国の利権を養護し、むしろその抑止力の恩恵に自らもあずかろうとしているような節が見受けられます。これでは今の日本(日本政府)からの世界に向けての核廃絶の声かけに、世界のどの国も本気では耳を傾けてくれないでしょう。一方、先日開かれました広島、長崎それぞれの平和記念式典での各々の市長による「平和宣言」や被爆者代表による「平和への誓い」は、それぞれのお立場からの威厳と誇りに満ちた、なんと血の通った熱意と思いに溢れた素晴らしい内容だったことでしょう。私としましても広島市・長崎市がともに手を携え「今後核兵器の廃絶に向けたメッセージを世界の国々に発信し、その世界的潮流を作り出していく」ことを望みますし、日本国民の一人として可能な限り全力で協力してゆきたいと思います。しかしながら、本来この確固たる役割意識を持ち、先頭を切る役割を果たすべきは日本政府のはずです。日本はこれまでの米国の核の傘に頼る姿勢をあらため、「核実験禁止」はもとより核保有国に対し「核兵器の使用や保有の即時禁止」「核先制不使用」を働きかけるなど、いわば世界平和のための「ピースメーカー」「ピースメッセンジャー」とならんことを切に願います。
〈Ⅲについての補足解説〉
この趣旨や理由について、ここで改めて詳しく述べるまでもないことと思います。ズバリ「世界の平和や安定を導くべきものが、まず自分のところをちゃんとできてなくてどうなんだ~」と言ったところです。「国籍、人種、性別、民族、宗教、文化、保有財産、地位・職種etcのいかんに関わらず、すべての人が安全かつ自由に生きられる権利、多様な考えや価値観を受け入れわかりあえる社会、誠実さと寛容さを持って互いの存在を認め合える共生社会」等の実現を、まずは今一度足元である日本からしっかりと構築し、それらの知識、知見、技術、しくみ、ノウハウ等を世界にも確実に広めて行ってほしいと思います。尚、ここで注意しておかなければならないことがあります。それは、我が国にも現在少しずつ蔓延しつつある「プチナショナリズム」「自己中心性の拡大と他者や他民族への過剰反応ともとれる批判・攻撃・排除の言動」「”富める者と貧する者””社会的強者と弱者”等の格差のさらなる拡がりの肯定・容認」等の風潮です。もちろん人それぞれに多様な価値観や考えがあってよいですから、これらの考えを完全否定するつもりはありません。ただし当たり前のことですが、人は皆自分だけの力では生きていけません。必ずや誰かしらの助けや支え、サービス・恩恵を受け今があるはずです。愛する郷土日本が、私たち一人ひとりが生まれながらにして持っている「人権」「人としての尊厳を尊ばれ自由に生きられる権利」「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」「生来根源的、本能的に人間に備わる”他者への思いやりの心””相手の身になって想像し共感する心”」等を国民一人ひとりが忘れず大切にする社会、他者に優しく寛容なる共生社会になることを期待してやみません。
ところで皆さんは「ホームグロウンテロリスト」と言う言葉を耳にしたことありませんか。昨今世界を震撼させているIS等のテロ組織の理念や思想に共感あるいは呼応し、本部や自国の仲間と連携して、時には単独犯で、自分が生まれ育った自国内でテロ行為におよぶテロリストのことです。そもそも彼らの心が、しだいにテロや反社会的思想に傾倒していくに至る要因の一つとして、自国生活を通じての彼らなりの受け入れがたい社会の矛盾、不条理、不満の数々が横たわっていることが挙げられます。今後各国が海外からのテロリストの侵入を阻止しようと厳戒態勢がますます強まる中では、上述の国内要因の改善・解消を進め、今後ホームグロウンテロリストを国内にいかに産み出さないかがテロ防止の一番のカギになってくるでしょう。そのためには、我が国においても例外ではありません。まずは私たち国民一人ひとりこそが、国、政府、行政任せにし過ぎずに、国内に潜む差別・偏見・迫害・虐待・貧困等の問題に真正面から対峙し、その改善・解決に向けた意識改革と行動変容につとめなければならないと思います。
●最後に
以上、わが国が果たすべき3つの役割を提言させていただきました。この一部分、ほんのわずかなエッセンスだけでも共感していただけたなら幸いです。そのあかつきには是非とも皆さま一人ひとりの身の丈にあった、そして無理せずに個人的に実行できる小さなところから、私たち日本国民一人ひとりが身近な社会生活の中で貢献できる何かを見いだしていただき、それを着実に行動に移していただけたなら大変嬉しく思います。
私たち国民一人ひとりの力を結集し、世論を動かし、真の心豊かな国、平和と非戦の国を作り上げることが、最大の戦争、紛争抑止力となり、ひいては「わが国と世界の恒久平和」「戦争と核兵器のない世界」の実現につながることを信じてやみません。長時間にわたりお付き合くださり、誠にありがとうございました。