精神病院を廃止した国「イタリア」

La liberta e terapeutica!(自由こそ治療だ)


急性期に入院し目が覚めたら快適な空間、目の前でカッコイイ女医が「大丈夫よ。」と言って抱擁し「タバコどう?」なんて勧めるんだろうなと想像してみた。「love and relationship」(愛と関係性)と出会った精神科医たちが合言葉のように言っていた。もう一つ印象的な英語での表現で、ウテンテとは「not dialog but negotiaion」する(対話ではなく交渉)であった。対話では対等性が得られないと言う。日本で発病したらただちにイタリアへ行くべし!
「精神科医になったきっかけは、ドストエフスキー読んだから」「私の給料はいくらかって?すぐに日本人はお金のことを聞くのネ!32歳で2,000ユーロ(約22万円)ナースと余り差はないわよ。」

つまり他の医療関係者と水平の関係であること、ヨーロッパ全体が大学までの学費が無料ということもあるのだろう。日本のように偏差値が高いからとか、親が医師であるとか、という理由でなくて本当に医師になりたい人がなる。つまり医師になっても給料が高くなく日本と違って医師になるまでにお金がかかっていないからだ。

精神保健センターの責任者、第2世代でバザーリアの後継者の1人ジョゼッペ・デッラックアに会った。前夜、アカデミー賞を取った「おくりびと」を見たよと日本びいきのところを見せてくれた。「精神科医は白衣を着て病院にいれば、ウテンテの病気だけみてその生活がみられない。」「バザーリアは施設の中での抑圧で引き起こされた人間としての反応が、精神病者の暴力と考えている。」

「精神保健で大事なのは精神病院に頼らないこと、小さな地区割りで地域サービスをやること。こうすれば精神科医も市民に近づける。市民も恐怖感を抱かずに自由に出入りしてくれる。僕たちはウテンテの生活をまるごと世話をする。昔の病院のように、医療だけを切り離して行うようなことはありません。その拠点が精神保健センターなのだ。」
「昔は、サン・ジョバンニ病院は狂った人たちの行く先と市民に思われていた。しかし、不安と恐怖の目で見られていたあの神秘的な場所を、僕らはなくした。かつての入院者が町に出てきたことで、市民の不安も恐れも消えた。もし、こうしたセンターのサービスがなかったら、市民の恐怖感なんて永遠に消えなかったでしょう。」
ハード面で地域精神保健サービスを作ったからイタリアは精神病院を廃止できたことはご理解されたと思うが、しかしその背景に哲学と文化、そして社会的連帯があったからだと思う。アメリカもイタリアも精神病院を廃止できたのは病院がほとんど公立だったことも日本と違う状況なので、(9:1の比率で日本と真逆)日本的な方法も考えて行かなければならないだろう。
<下図は大熊一夫さんの説明より>
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バザーリア+哲学・文化・社会的連帯のある国=精神病院廃止

フランコ バザーリアは1924年生まれ。ヴェニス貴族の血を引く家に生まれた。
1944年には、反ファシズム運動で刑務所に入る。サルトルの実存哲学を精神医学に取り込む。
1968年の学生運動に影響を与えた。極左テロリズムに走らなかった学生活動家はトリエステにやってきた。
僕たちは滞在中にバザーリア自身を描いた映画をサン・ジョバンニで観た。イタリアのNHKのような公共放送でかなり高い視聴率を稼いだらしい。大熊さんの話によると、イタリア側は日本でも売れると考えて日本語の字幕を考えているそうだ。当時の学生や労働者たちをさぞかし魅了したに違いない人物像であった。バザーリアは市民をも引きつけるアジテーターであった。
1978年5月、世界初の精神病院廃絶法成立。(180号法とかバザーリア法とも呼ばれている)
1980年8月死去。この精神病院廃止運動は、左派が主導していたが、右派になってもこの流れは戻されていない。人権が守れて、安くて快適で安全なことが証明されているからだ。

バザーリア法は四つの大きな柱で構成されている。(大熊一夫さんの要約)

①?精神病院を新しく造ることは禁止。すでにある精神病院に新たに入院させることも禁止。
1980年末以降は再入院も禁止。(すでに入院中の人々を追い出すことまでは決めていないので、この人々の退院プランによって精神病院の閉鎖時期は決まる。トリエステのように1980年に旧病院の機能を完全停止させたところもあれば、1998年に保健省から督促されてしぶしぶ閉めたところもある。)
②?予防、治療、リハビリは、原則として地域精神保健サービス機関で行う。しかし、やむを得ない入院のために、一応、一般総合病院内に精神科ベッドを、15床を限度に設置することができる。このベッドは、人事も予算も地域精神保健サービス機関(通常は地域精神保健センター)の管理下におかれる。センター中心の治療が巧くいかないときにのみ、例外的に総合病院のベッドは使われる。
③?治療は、原則として当人の自由意思のもとで行われる。しかし、緊急に介入しなければならない時、あるいは必要な治療を拒まれた時には強制治療はありうる。この場合、二人の医師が別個に必要ありと判断しなければならないし、その一人は、地域精神保健サービス機関で働く医師でなければならない。また強制治療の場所は地域精神保健サービス機関でなければならない。そのうえで、市長または市長が任命する保健担当長の承諾も必要だし、その市長は48時間以内に裁判所に通報しなければならない。強制期間は7日間で、延長が必要なら、改めて同じ手続きを踏まなければならない。(本人の民法上の権利や参政権は可能な限り守り、本人から同意を取り付ける努力は怠るな、と釘を刺している。私立精神科施設には強制治療を許していないことも注目点)
④?それまで県の責任だった精神保健行政の全てを州に移管する。

日本の私達が忘れてはいけないこと!

イタリアにはわが国の憲法25条と同じような憲法38条があった。社会的連帯の源である。
市場原理主義がはびこり、いまではグローバリズムが市場や資源そして環境ばかりでなく、社会の持続性をも脅かしている。社会保障は自己責任といわんばかり、日本も大変な二極社会となってしまい、いわば社会の底が割れだしている状態だ。
今や教育・医療・福祉は先進国OECDでは最低レベルとなり、日本は自殺大国となってしまい、毎年3万人超の自殺者数は12年間続いている。欧米では被雇用者所得は増えているのに、この同じ12年間日本は下がり続けている。非正規雇用者の割合は3分の1、若者や女性は2分の1。長いこと厚労省が発表しなかった貧困率は15.7%(湯浅誠さん達の努力で昨年10月厚労省発表)約2,000万人が生活保護(セーフティーネット)対象者。ヨーロッパだったらその7~8割が受給。日本では1割弱。障害者予算ドイツの4分の1北欧の8分の1、なんとアメリカの2分の1。ヨーロッパでは医療や福祉の本人負担が無い。日本の教育費は世界一高い。経済というパイが大きくなっても配分が問題だった。イタリアをはじめヨーロッパのような社会的連帯のある社会でしか精神医療改革は進まないだろう。良いタネ(バザーリア)をまいても豊かな土の上にしか育たないのは自明のことだ。

ではどうしたらそのような社会を作ることが出来るのか。湯浅誠さんが書いているが「社会への責任を一人ひとりが継続的に負い続けること」タナボタはない。今私達はそれぞれの場でどう自覚するのか問われている。

私達はもっと社会に興味・関心・発言をしていきましょう!
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参考文献
「精神病院を捨てたイタリア捨てない日本」  大熊一夫著  岩波書店
「自由こそ治療だ」    半田文穂訳  社会評論社
「反貧困」      湯浅誠著  岩波新書
「ルポ生活保護」     本田良一著  中公親書

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